ミニマリストとして知られた画家ロバート・ライマン(88歳死去)

ミニマリストとして知られた画家ロバート・ライマン(88歳死去)

2019年2月8日「the Most of White」白の画家と評されたロバート・ライマン、
88歳がマンハッタンの自宅で死去した(The New York Times)。

今回は第二次世界大戦ご活躍した、
ミニマリストの画家、ロバート・ライマンを取り上げたい。

ロバート・ライマンは、
白い絵具をベースに正方形に描かれた作品で知られている。

Google検索「ロバート・レイマン作品」

マスキングテープで四角形のキャンバスを壁に貼り、
リッチな油性ペンキで描くのが彼のスタイル。

彼の作品は白ベースのペンキで描かれたものが大半を占めている。

特に白にこだわった訳ではなく、
白は他の要素を際立たせるという意味から、
結果的に白ベースになったのだそう(Art News magazine,1986)。

実は、ロバート・ライマン画家としての学歴は一切ありません。
MoMA(ニューヨーク近代美術館)のガードとして7年間勤務したことが、
きっかけとなり画家になったのです。

ロバート・ライマンは1930年にアメリカテネシー州ナッシュビルで誕生します。
彼の父は保険営業マン、母親は教師兼アマチュアピアニスト。

幼少期に絵画に触れる機会は一切なかったそうだ。

彼はジャズに魅了され、ジャズのサクソフォーン奏者を目指します。
大学はテネシー州の音楽学校に通い。卒業後大学の教師として2年間働きます。

その後、兵役に従事。

兵役を終えて直後にマンハッタンに引っ越し、
MoMAのガードとして働き始めます。

ライマン氏は、MoMAのガードとして働く傍ら、
マーク・ロスコなど現代美術の先駆者から影響を受け。

自分でも描いてみようとキャンバスを手に取ったそうだ。

当時はガードマンの仲間にも恵まれ、
後に芸術家となったソル・ルウィットダン・フレイヴィンと親しい間柄だった。
また、アパートが一緒だった美術家ロバート・マンゴールドとも仲良くなった。

ライマン氏はガードマンから画家へとシフト。

個人でギャラリーショーを開いた5年後。
1966年にはアメリカニューヨークのグッゲンハイム美術館での初めて出品。

2015年にはディア美術財団ディア・チェルシーに出品。

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2005年に第17回高松宮殿下記念世界文化賞(絵画部門)を受賞するなど、
アメリカの画家として偉業を成し遂げたアーティストだった。

2019年2月8日ロバート・ライマン88歳で死去。
彼の死は実は海外ではもっと大々的に取り上げられている。

なぜなら、
1960年代に動きのあった美術のミニマリズムに貢献した一員だからだ。

ミニマリストをご存知でしょうか?
持ち物を最小限にとどめるミニマリストが日本でも流行っていますよね。

実はミニマリスト、第二次世界大戦後の美術におけるミニマリズムが発端となっています。

1960年代ー1970年代のアメリカにおいて
装飾的な要素を限りなくシンプルにするアート、
ミニマリズムの動きが盛んになりました。

ロバート・ライマンもミニマリストのひとり。
※彼はミニマリストではなく現実主義と呼ばれたいらしい。

また彼の知人として先ほど紹介した、

ソル・ルウィットダン・フレイヴィンロバート・マンゴールド

彼らは全員アメリカ合衆国のミニマリズム美術家なのだ。

ミニマリストの美術が目指したものは、
手法や装飾によって美術は形どられるものではなく、
自由に美しいものをシンプルにつきつめる美術。

ロバート・ライマンは一度も美術学校に通っていません。
だからこそ、彼は美しいものをシンプルに表現できたのかもしれません。

今でこそ流行っているミニマリスト、
その背景にはミニマリズムを後押しした
美術家がいたということを是非ココロに留めておいてくださいね。pi