マーク・ジェイコブス異才を放つデザイナーの栄光と影。そして、彼がゲイであることを知る日本人は少ない。
幅広世代から愛される人気ブランド「Marc Jacobs(ジェイコブス)」。
海外のメディアファッショニスタによると、マークジェイコブスは2019年秋頃にラインを「ランウエイ(RUNWAY)」と少し価格を抑えた「ザ マーク ジェイコブス(THE MARC JACOBS)」の2つに分けるそうだ。
2015年にお手頃な価格帯とカジュアルなデザインが人気だった「Marc by Marc Jacobs (マークバイマークジェイコブス)」のラインが閉じて以来、
ブランドの認知がやや後退気味だったためその挽回施策なのかもしれない。
今回は「Marc Jacobs(ジェイコブス)」のブランドではなく、
「Marc Jacobs(ジェイコブス)」の生みの親であるマークジェイコブス本人についてご紹介いたします。
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有名なデザイナーとしてのし上がったマークジェイコブスだが、
常にスポットライトにあたっていた訳ではない。
長年薬物中毒から抜け出せず危うくキャリアを捨てそうになった時期もあったようだ。
強力なパートナーロバート・ダッフィーとの出会い
マークジェイコブスのデザイナーとしてのキャリアは1984年からスタート。
マークがデザイン大学の論文を発表していたとき、ある人物の目に留まった。
ファッションエグゼクティブのロバート・ダッフィー(Robert Duffy)だ。
ロバートは、一瞬でマークの才能を見抜き、
アメリカを代表とするデザイナーに育ちそうだと確信した。
ロバートは当時21歳だったマークを雇った。
ロバートとマークの強力なパートナーシップによる道のりがここから始まった。
「ロバートが僕の才能を信じてくれたから今僕はここにいる」
“It was Robert’s belief in me then — that’s why I’m still here,(Women’s Wear Daily)”
とマークが発言しているくらい、ロバートはマークジェイコブスを信頼していた。
ロバートは自身の腕に1984年マークと出会った日をタトゥーに入れていたほどマークを見入っていた。
マークのデザイナーとしての才能は徐々に世間に広まっていった。
1985年スプリングコレクションで成功を収める
1988年PerryEllisのヘッドデザイナーに就任
こちらはPerryEllisの2018年ファッションショー動画↓
そして、1992年グランジコレクション(“grunge” collection)。
デザイナーとしてのキャリアが順調かと思われた矢先。
マークはグランジコレクションで失態を犯す。
ファッション業界について筆者はあまり詳しくないのだが、
とにかくマークが提案したデザインがダメダメだったらしい。
1992年グランジコレクションは、メディアから大バッシングを受け酷評に終わる。
マークは責任を問われPerryEllisを解雇される。
薬物依存から抜け出せない生活習慣
マークジェイコブスは、長年薬物を服用していた。
その当時20代の若者は、薬物を服用するのがごく普通だったが、
節度をもって服用ができていた。
しかし、マークに限っては薬物をやめることができなかった。
彼はヘロインを服用し続け、ハイになって度々失態を犯していた。
マークジェイコブスがここまでデザイナーとしてキャリアを築けたのは、
パートナーであるロバート・ダッフィーが見捨てなかったからだろう。
ロバートは度々マークジェイコブスの犯した失態の後始末をし、
彼が復帰できるよう道筋をつくってくれた。
マークがひとりぼっち担ったときに唯一手を差し伸べたのはロバートだ。
ブランド「マークジェイコブス」の誕生
PerryEllisを追われたマークは、
ロバートのサポートを受けつつ、1993年現ブランドの会社である、「マークジェイコブス(Marc Jacobs International, LLC)」を立ち上げる。
1997年には「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」のヘッドデザイナーに就任し再度復活を遂げたのだ。
ルイ・ヴィトンに勤めたことは彼にとって転機だった、ルイ・ヴィトンのデザイナーという肩書でマークの知名度は一気に広がったからだ。
1998年には若年層へむけたブランド「Marc by Marc Jacobs (マークバイマークジェイコブス)」を立ち上げ、
Marc Jacobsはファッション業界で確固たる地位を築いていった。
再び襲う影
2001年マークジェイコブスは薬物依存症を克服するために療養施設に入ります。
退院後は、ニューヨーク・マンハッタンの中心部にマークジェイコブスの店舗を新設。
ルイヴィトンのランウェーコレクションでもマークジェイコブスの評判はどんどん上がっていった。
しかし、好調に見えた期間は一時的。
2007年、マークジェイコブスは再び薬物中毒に陥ってしまいます。
数日どこかに消えて戻ってくるような生活が繰り返された。
ヤク中でゲイ、マークジェイコブスのセクシャリティへの理解
ご存じない方も多いかもしれないが、マークジェイコブスはゲイだ。
物心ついたときからゲイと公言していたようで、特に自分の性指向に悩んでいる様子はない。
しかし、有名なデザイナーは常にメディアのターゲットにされていた。
彼がハイになってか、自身のヌード画像をinstagramにアップするなど、
私生活はかなりメチャクチャだったようだ。
また、10数人でゲイパーティーを開催したという報道などは、
SNSで多くの人が反応した。
みんな、有名なデザイナーのプライベートにとても興味があるのだ。
世間から常に評価されているプレッシャーは相当なものだったのだろう。
今後の展望そしてブランドの行方
2013年理由は定かではないがロバートダフィーが会社を辞職。
Robert Duffy & Marc Jacobs, Feb. 2010
重要人物が会社をやめることは会社の危機でもある。
当時予定していた Marc by Marc Jacobsのgreat fanfare in 2013はキャンセル。
そして、2015年「Marc by Marc Jacobs (マークバイマークジェイコブス)」がMarc Jacobs統合が発表された。
事実上、若者に人気だったマークバイマークジェイコブスは消滅した。
NEWYORKTIMESがインタビューした従業員が言うには、当時マークジェイコブスは会社の方向性を見失いつつあったそうだ。
だが、転んでも立ち上がる。マークジェイコブスは常に荒波の中で戦ってきた。
2019年56歳になったマークジェイコブスは新たな決心を胸にいだいているに違いない。
冒頭にあったとおり、マークジェイコブスは2019年秋頃にラインを「ランウエイ(RUNWAY)」と少し価格を抑えた「ザ マーク ジェイコブス(THE MARC JACOBS)」の2つに分ける。また、1992年酷評を受けたグランジコレクションの2018年11月「Redux Grunge Collection 1993/2018 Marc Jacobs」を復刻させた。
クィアなファッションデザインが際立つ。
モデルはメーキャップをせず自然体の美しさを表現している。
世界がどう評価しようと、彼の世界観を伝えたかったのが1993年のグランジコレクションだったのだろう。
今であれば通用すると再度持ってきたのかもしれない。
幸せいっぱいのマークジェイコブス
プライベートでは今彼は順風満帆だろう。
マークは4月にフィアンセのチャーリー・デフランチェスコと結婚。
詳しくはこちら↓
マーク・ジェイコブスの華やかな結婚式!モデル&デザイナー豪華ゲスト集結!
「近代建築の三大巨匠」と呼ばれるフランクロイドが設計したNYC郊外にある10億円の家を購入ばかりだ。
伴侶をみつけ、生活が安定してきた彼は新しいスタートを切ろうとしているに違いない。
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※ここからは筆者の感想
マークジェイコブスのブランドだけを知っていると、デザイナーのプライベートもさぞかし順風満帆なのだろうと想像してしまう。
だが、マークジェイコブスはいい意味で人間臭く欠点が多い秀才だからこそ素晴らしい作品を残せているのだと感じる。
マークジェイコブスにとって幸運なことは、その才能を見抜き活かす方法を常に模索してくれた、
ロバート・ダッフィーの存在だろう。
人生のパートナーに巡り会えるラッキーな人はそう多くない。
50歳過ぎてからも活動的な彼を見習いたい。
<参考URL>
https://nypost.com/2015/10/25/mystery-of-whats-gone-wrong-with-fashion-icon-marc-jacobs/
https://www.fashionsnap.com/article/2018-11-11/marcjacobs-grungecollection-19932018/
https://www.vogue.com/article/marc-jacobs-perry-ellis-grunge-collection-90s-fashion
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