アダム・ランバート×Queenクィーンがバンドを組んだ理由!「ボヘミアン・ラプソディ」をもう一度!

アダム・ランバート×Queenクィーンがバンドを組んだ理由!「ボヘミアン・ラプソディ」をもう一度!

日本では2018年11月から劇場公開されていた映画「ボヘミアン・ラプソディ」

第91回アカデミー賞では4冠に輝き、
総世界興収が9億ドル(約1007億円)を突破、
配給を手がけた20世紀フォックスで「タイタニック」や「アバター」に続く大ヒットを生み出した。

ボヘミアン・ラプソディでは、人気バンドクィーン(Queen)のボーカルとして活躍するフレディ・マーキュリー
&プライベートではゲイ(LGBTQ+)をカミングアウトし、ゲイとして歩むフレディの人生が描かれています。

フレディの圧倒的な歌唱力、
映画後半のライブ・エイドのライブシーン・フレディの苦悩に感情を揺すぶられた方も多いのではないでしょうか。

今回注目したいのは、「クイーン+アダム・ランバート」として、新生クイーンのボーカルを務めるアダム・ランバート。
アダムはクイーンのメンバー、ブライアン・メイ(ギタリスト)とロジャー・テイラー(ドラマー)とライブを開催するなど、勢力的にクィーンの新しいボーカルとして活動をしている。

なぜ、クィーンのメンバーがアダムを受け入れたのか。
アダム・ランバートとはどういう人物なのかをご紹介いたします。

出会いのきっかけは『アメリカン・アイドル』

2009年にアダム・ランバートは「ボヘミアン・ラプソディ」をオーディション番組『アメリカン・アイドル』のシーズン8で披露。
不本意ながら審査員からは大げさな演技に見えると酷評を受けたのだが、
当時27歳のアダム・ランバートはクィーンの世界観にどっぷりハマっていた。

こちらは、アダム・ランバートが『アメリカン・アイドル』に出演した時の映像。

アメリカン・アイドルの選考が進むに連れ、
クィーンのギタリスト、ブライアン・メイは色んな人からアダム・ランバートについて調べてみてとメッセージを受け取るようになったという。

その当時、ブライアン・メイとドラマーのロジャー・テイラーのパートナーシップを解消を機にクィーンは解散。
ブライアン・メイはソロで音楽活動をしていた。

そして、アダム・ランバートについて連絡がくるようになってから、
ブライアン・メイは、youtubeでアダム・ランバートを密かにチェックしていたらしい。

2017年に発売されたブライアン・メイが執筆した本「Queen in 3-D」はこう発言している。

「普通ではない何かがあることは明確だった」
「そして、ロジャーと僕に電話がきたんだ。LAのアメリカン・アイドルで最終選考者2名と共演しないかって、一人はアダム — どちらもとても素晴らしいシンガーでステージの見せ方も上手、付き合いやすい相手だった。」「でも特にアダムは明らかに僕たちと波長”ケミストリー”が合うことがわかったんだ」「(僕らが組んだこと)は非常に自然で、みんな自然と顔を見合わせて笑顔になった。僕たちの演出による反響は絶大だった、だからその時からアダムと一緒に組むことは脳の片隅にあった」

こちらは、ファイナリストとしてアダム・ランバートがアメリカン・アイドルに出場した時に、
クィーンと一緒に共演した映像。惜しくも準優勝となったが反響を呼んだ。

「ゲイ」としてバッシングを浴びたアダム・ランバート

アダム・ランバートはゲイだ。

アダムいわくアメリカン・アイドルで急に名が知れ渡ったため正しい手順がわからなかったというが、
彼がゲイであることを公表せずにソロデビューをしたため、
ライブでキーボーディストにキスする、ダンサーにカラダをなすりつけるなどの行為が人々の目についた。

まるで、映画「ボヘミアン・ラプソディ」にみるフレディのように、
ゲイであることに対し世間から大バッシングを受けるようになる。

「女性のパフォーマーは何年も前から、性的な演出をしているのに、、男性がやりはじめた途端みんな悲鳴をあげる」
「2009年の時代に生きる僕たちは少し勇敢になってリスクを背負わないといけない。人々の目をあける、、、、もしそれで人々が気を悪くしたのであれば僕は用なしさ。僕のゴールは人を怒らせたいわけじゃない、自由でいることを示し、アーティストとしての自由を表現することさ。」

アダム・ランバートは、大バッシングの嵐が去ったあとこう発言している。

2011年、アダム・ランバートはヨーロッパのMTV「Europe Awards show」にブライアン・メイとロジャー・テイラーと一緒に登場する。

「全員もし一緒に登場したらどうなるかみてみたいと思ったんだ」とブラインは言う。

「数日リハーサルして、ぶっつけ本番ライブさ、いつもどおりね。英国の番組では”The Show Must Go On(ショー・マスト・ゴー・オン)”、 ”We Will Rock You(ウィー・ウィル・ロック・ユー)”と”We Are the Champions(ウィー・アー・ザ・チャンピョン) ”を披露したよ。そしてたら大反響でね。満場一致で(アダム・ランバート)とは上手くいくってね。その後すぐに一緒に組むことを考え始めた。ギグ(小さなライブ)でもやってどうなるか様子をみようってね。」

2011年よりすこしずつ活動していったというブライアン・メイ。
ロジャー・テイラーはアダム・ランバートの歌唱力をテレビのインタビューで「1億人にひとりの歌唱力」と称賛している。

2012年「Queen + Adam Lambert」結成、滑り出しは酷評に終わる

2012年クィーンとアダム・ランバートは、はじめて「Queen + Adam Lambert」の結成を公にした。

DailyStarの取材にアダム・ランバートはこうコメントしている。

「フレディとそしてバンドの素晴らしい曲に敬意を表すため結成された。」
「フレディもそうであってほしいと願うよう、ファンのために曲のエネルギーを途絶えさせないため」

バンド結成後、ウクライのキエフとイギリスのロンドンで小規模なライブ(ギグ)を開催。

世間は、「Queen + Adam Lambert」結成をどう見ていたのだろうか。
ウクライナキエフで行われたライブ(ギグ)の動画がyoutubeにアップされると、海外メディアがこぞってネガティブなタイトルの情報をネットにアップしたのだ。

「思っていたとおり最悪だった」(海外メディアAntiquiet
「おぞましい結果だ」(海外メディアTelegraph’s レビューアー)
「ロンドンのギグは世にも奇妙なライブだったよと」

実際クィーンは常に少し風変わりなことをして世間を賑わせてきてたため、
クィーンらしいといえばクィーンらしいとメディアは言及しつつも称賛はしていなかったよう。

転機はアメリカの「iHeartRadio Music Festival」

滑り出しはまずまずだった、「Queen + Adam Lambert」に転機が訪れたのは、
2013年、ラスベガス「iHeartRadio Music Festival」にてライブ公演。

「Queen + Adam Lambert」としてはじめての米国でのライブだった。
アメリカでのライブは大成功。人々に受け入れられ称賛された。

2014年、ブライアン・メイとロジャー・テイラーはアダム・ランバートをリードボーカルとして全面的に押し出すことにした。
今まではクィーン+α的な存在だったアダム・ランバートを彼らの一部となる。

19日間の全米ツアーを決行。

「このツアーは僕の人生の節目(マイルストーン)となると思った。ブライアン・メイとロジャー・テイラーのサポートもあってマジックが起こると感じたんだ。」と、アダム・ランバートは語っている。

ブライアン・メイの願いは「もう一度美しいあのアリーナ(コンサート会場)をロックすること」

バンドメンバーは、クィーンの音楽を復活させたかっただけかもしれないが、
世界はただのバンドでいることを許さなかった。

全米ツアーはバンドの予想を上回るほどの大ヒット。
ツアーは全米とどまらず全世界ツアーに変更された。

2014年開催された世界のツアーでは35番目手、およそ7000万円の収益を生み出した。

ツアーをきっかけに、イギリスのTV番組「X Factor」やロンドンの年末コンサート「New Year’s Eve concert」 に呼ばれた。リオのコンサートチケットは、たったの3時間で完売。

日本のサマソニックにも登場している。

世界中が再びクィーンの虜になったのだ。

イギリスのTV番組「X Factor」出演動画

ロンドンの年末ライブ動画

リオでのライブ動画

2016年には、世界中の有名なミュージック・フェスティバルに登場。
ポルトガルのリスボンで開催される「Rock in Rio Lisboa」、イギリスのワイト島で開催される「Isle of Wight Festival」、スウェーデン「Sweden Rock」そしてシンガポール「Formula One Singapore Grand Prix」。

「僕も君たちと一緒フレディのファンなんだ」

2018年−2018年と69日間で行われた世界ツアーでは、
94%のチケットが約6000万円と、とにかく売れに売れている新生クィーン。

ラスベガスで開催したライブでアダム・ランバートは、
自分がフレディの座であるリードボーカルとしての立場をこう語っている。

「ある人はこう思うかもしれない”すごいけどフレディじゃない”。そう!フレディに取って代わることなんか出来っこない。・・・フレディのことを愛していますか?フレディに逢いたくて恋しくならない?僕もそう。僕も君たちの感情と全く一緒なんだ。僕もファンなんだ。」

海外メディアGuardianのインタビューに対して、こんなにバンドが続くと思わかなったというアダム・ランバート。

「どうやって僕なりに曲を活かすかがわかったんだ。」「僕は単純に曲を真似しているだけではなく、僕の観点から解釈してフレディをもっと追求している・・・彼ほどのロールモデルにはなりっこないけど、徐々に自分が与えられている使命がわかった」

映画「ボヘミアン・ラプソディ」アカデミー賞受賞

2019年映画ボヘミアン・ラプソディを受けて最後のツアー「Rhapsody tour」を決行。

クライマックスはボヘミアン・ラプソディのアカデミー賞受賞式におけるライブ。
セレブの前で堂々とクィーンとアダム・ランバートはステージで熱演。

世界中に旋風を巻き起こしたボヘミアン・ラプソディ。
火付け役は「Queen + Adam Lambert」だったのかもしれない。

アダム・ランバート実はボヘミアン・ラプソディに登場していた!?

アカデミー賞のあと、アダム・ランバートが衝撃的な発言をします。

「実は僕、ボヘミアン・ラプソディに登場していたんだ」って。
それがこちら。

恐らく映画を見ている方だったら思い出せるかもしれないが、
まだゲイを自認していなかった頃フレディがライブ会場の外で彼女メアリー・オースティンと電話で話しているシーンに登場する、フレディを目で誘惑する男性がアダム・ランバートだったとのこと。

ヒゲがこすぎてわかりません。 笑

アダム・ランバートについて情報

 

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生年月日: 1982年1月29日 (年齢 37歳)
生まれ: アメリカ合衆国 インディアナ州 インディアナポリス
身長: 185 cm
アルバム: トレスパッシング、 The Original High

アダム・ランバートは、幼少期から少し変わった子供だった。
中学校では友達が誰もおらず、ゲイであることを自認しはじめてから、
自分をすんなり受けれることにした。

元気良すぎたアダムを両親は劇団に入れ、
アダムは10歳の頃からミュージカル劇団をはじめた。
高校卒業後、劇団に所属しツアーに回るようになった。

そして、2009年にアメリカン・アイドルに出場し準優勝。

アメリカン・アイドルで優勝したのはクリス・アレンだったが、
アダム・ランバートのファンが彼を後押ししてアルバムをだすことになった。

そこから彼の発言や行動から大バッシングを受けることになるのだが、
今はクィーンのバンドボーカルとして世界を魅了している。

さいごに

「クイーン+アダム・ランバート」のすごいところが、
クィーンを知っていた世代を乗り越えて、今の10代20代を巻き込んで盛り上げていったところだと思います。

話がかわりますが、それにしてもネットの影響はすごい。
ブライアン・メイはyoutubeをみていなかったらアダム・ランバートの歌を聞くことはなかったし、
ネットがなければ世界中にクィーンの再来が知らされることもなかっただろう。

情報の流れが早いインターネットの時代だけれども、
逆に良いものは残り続ける時代でもあると言えるのかもしれない。

筆者はやはり、このおじさま方のパワーに脱帽してしまう。

www.udiscovermusic.jp

何歳になっても熱いパッションを持ち続けるバンドマンに心を奪われました。
よくドラマー体力もつな。。